2016年1月8日に発売された、ミュンヘン現代史研究所(Institut für Zeitgeschichte München)による歴史批判的注釈付き『我が闘争』(Mein Kampf - Eine kritische Edition)は正式販売開始前に既に在庫切れとなっていました。初版は4000部のみだったので、当然といえば当然ですが。私がネット書店でこれを注文したのは同年1月末。届いたのは4か月後で第4版。わずか4か月の間に随分と版を重ねたものです。現在では第10版が出ています。
本は思っていたより大判(29x22cm)で、2冊の厚みは11㎝。かなりの存在感があります。
序章だけでも実に興味深いです。この学術版の注釈は、歴史的背景の説明だけではなく、ヒトラーが『我が闘争』で展開した扇動的内容を徹底論破し、ヒトラーがどのような嘘やデマを書き込んでいたかを明らかにすることを目的としています。序章の序文でまずなぜこの歴史批判的注釈付き『我が闘争』を出版したか、その目的が語られます。序章の目次は以下の通りです。
Vorbemerkung 序文
Zur Entstehungsgeschichte von Mein Kampf 『我が闘争』(ヒトラーオリジナル版)の成立過程
Hitlers Sprache in Mein Kampf 『我が闘争』におけるヒトラーの言語
Selbstfindung 自己発見
Entwurf einer Lebensgeschichte 伝記の構想
Parteigeschichte 党の歴史
Selbstpositionierung im völkischen Lager und innerhalb der NSDAP 民族主義陣営及びNSDAP党内における自己の位置づけ
Ankündigung einer Katastrophe? Mein Kampf als antizivilisatorisches Programm 惨劇の予告?反文明的プログラムとしての『我が闘争』
Die Kommentierung -- Kategorien und Prinzipien 注釈―カテゴリーと原則
Editionsvorlage: Die Erstausgabe von Mein Kampf 1925/27 編集原書:『我が闘争』初版、1925/27
Der textkritischer Apparat 研究資料
Typografie und visuelle Gestaltung von Rudolf Paulus Gorbach ルドルフ・パウルス・ゴァバッハによるタイポグラフィー及びビジュアル構成
Editionsrichtlinien 編集方針
序文翻訳(ざっくり):
なぜこの刊行か?原書は有名だ。『我が闘争』は稀に見るベストセラーだった。少なくとも1122版、約1245万部が1925-1945年の間にドイツ国内で出回った。それに加えて数知れない翻訳本が少なくとも17言語で出版された。この1千万部以上の本のうち驚くほど多くの本が戦後の焚書を生き延びた。そのことは古書店やインターネットの古書店サイトを覗けば一目瞭然である。それ以上に、『我が闘争』は―我々の時代の技術的可能性をもってすれば当然の帰結だが―とっくにデジタル化されている。そのため実に簡単かつひそかにアクセスできる。ヒトラーの作品はデータベース化され、電子書籍として存在し、現在99セントでiTuneからダウンロードできる。「ヒトラーの『我が闘争』は電子書籍ベストセラーリストを占領」と2014年1月にニュースになった。
だが、1945年以来『我が闘争』は本来発禁である。しかしながら、この本はどうやら滅することができないらしい。『我が闘争』は数知れない新版という形で第三帝国の滅亡後を生き延びた。英語出版のような主要市場ではどちらにせよこの発禁処分の対象になっていなかった。既に1933年にイギリスおよびアメリカの出版社が『我が闘争』の版権を取得しており、その結果両国でヒトラーの本が、『My Struggle』あるいは『My Battle』というタイトルで版を重ねて出版された。1945年以降も『我が闘争』は英語圏で一種のロングセラーへと発展した。アマゾンなどのオンライン書店における販売数やコメントの数からだけでもそのことが知れる。更に、1945年から時を経るに従い、徐々に許可のない、大抵は外国語の復刻版が世界に出回るようになった。本来違法にもかかわらず。1945年のEher出版社禁止処分後、『我が闘争』の著作権は1965年以降バイエルン州財務省にあり、同省はあらゆる手段でこの不吉な遺産の政治的経済的悪用を阻止しようとした。『我が闘争』の所有、及び古書売買は許されたままだったのに対して、復刻・再版は一貫して禁止されていた。しかしながら、インターネット時代にこの政策を特に強調するのはだんだん難しくなっていった。
言い換えれば、『我が闘争』は世界中にあり、この本の存在をなかったことにすることも無視することもできないのだ。これは2015年の終了と共にさらに難しくなる。なぜなら著者の死後70年が経てば『我が闘争』の著作権が切れるからだ。2016年1月1日からこの本は公有物となり、誰でもこのテキストを印刷することができるようになる。
それならなぜ、最初の問いに戻るが、この本の新版か?まず第一に、『我が闘争』は重要な歴史的資料であるということだ。それはかの政策と犯罪で世界を完全に変えてしまった独裁者の最も豊富で、ある意味最もプライベートな証拠品である。その影響は今日まで感じることができる。『我が闘争』は、ヒトラーが何を考えそして計画したかの「最も重要かつ詳細な描写である」とヤン・ケルシャウは述べている。ヒトラーもそのように理解していた。彼にとってこの本は一種の明確化プロセスだった。(後略)
『我が闘争』の意味はアドルフ・ヒトラーという人物の自伝に留まらず、ナチズム(民族社会主義、Nationalsozialismus)の行動原理を理解するうえで欠かせない資料なので、どんなに読みづらくても読むべき、といったことがこの後書かれています。『我が闘争』が、支配者が権力を握る前に将来の展望を詳細に明らかにした世界唯一の本だとも評されています。
この学術版は、本文はともかく、注釈部分を読むにはルーペが必要です。
嘘八百を並べ立てても、巧みな演説と大衆の感情を掬いあげ、共同体内の一体感と将来の希望を与えることで大衆扇動が成功することのいい例がこの悪名高き『我が闘争』を始めとするヒトラーのプロパガンダです。
現実は往々にして複雑で、因果関係が明確でないことがほとんどですが、大衆というのは大抵の場合簡単で分かりやすい答えを求めています。その答えが事実として正しいかどうかは問題ではないのです。残念ながら。
大衆扇動のパターンは、共同体が一丸となって向かうべき未来・目標と共通の外敵です。自信や自己の存在価値を取り戻せることが重要であり、ファクトかどうかは二の次なんですね。現在、巷にあふれる陰謀論やフェイクニュース、オルタナティブファクトはまさにそのパターンに当てはまります。多くの人にとってファクトチェックなどは面倒くさいだけで、なんとなく感情的にフィットするものに飛びつき、同じことを3度以上目にしたり耳にしたりすればそれを「事実」と受け止めてしまう脆弱な認知力しか持っていません。世相がもっと悪くなり、自分の状況に絶望または少なくとも強い不満を持っている人が増えれば、大衆扇動がもっと簡単になり、社会が危険な方向へ転がりだしてしまうかもしれません。
デマに踊らされない知性と批判的精神をより多くの人に持ってもらいたいという願いを込めて本書を挙げさせていただきました。
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