【学問の自由】シュタインマイヤー独大統領ボン大学創立200周年記念式典式辞を原文で読もう(5)

最終更新: 11月21日


第4回に引き続き、ボン大学の歴史の部分です。ツァイトの記事で言及されていた車掌 Schaffner と対比させて、ボン大学の法学者たちや政治学者たちの役割を語っています。

【原文】

Anders als die Schaffner standen jedenfalls die Bonner Rechtswissenschaftler, die damals noch nicht zu den allerprogressivsten Kräften zählten, bald fest im Dienst der deutschen Demokratie. Wie keine andere juristische Fakultät konnten sie – allein schon aus räumlicher Nähe – mit dem direkten Draht zu Regierung und Verwaltung glänzen, und vielleicht wie keine andere hatte sie Einfluss auf die Ausbildung des Beamtennachwuchses für die neue Republik. Hinzu kamen die Neuerungen aus anderen Wissenschaften, etwa aus der Politikwissenschaft, die die Uni Bonn zu einem "Lernort der Demokratie" machen wollte, wie ihn etwa Karl Dietrich Bracher, erster Inhaber des 1959 eingerichteten Lehrstuhls für "Wissenschaft der Politik und Zeitgeschichte" an der "Kriegsgefangenen-Uni" in Kansas erlebt hatte. Er zählte zur ersten Generation junger Wissenschaftler, die mit unnachgiebigem Aufklärungsinteresse das Scheitern der ersten deutschen Demokratie untersuchten. Seine Studie "Die Auflösung der Weimarer Republik" von 1955 wurde zum Standardwerk.



【解説】

zu den allerprogressivsten Kräften 最も進歩的な勢力に。aller- は最上級をさらに強調する接頭辞です。

aus räumlicher Nähe 地理的な近さから。ボン大学本校舎と「ボン共和国」の国会議事堂が3㎞しか離れていなかった事実を指しています。

Karl Dietrich Bracher カール・ディートリヒ・ブラッハー(1922~2016)、政治学者、歴史学者。1959~1987年、ボン大学の Wissenschaft von der Politik und Zeitgeschichte(政治と現代史学)講座担当教授。彼の下で130人以上の学生が博士号、12人の学生が教授資格を取得し、「Bonner Schule ボン学派」とも呼ばれる勢力となったが、本人は多元的・統合的アプローチを目指していたため、1つの学派を形成する意図はなく、この呼称を拒絶した。

wie ihn etwa Karl Dietrich Bracher ... an der "Kriegsgefangenen-Uni" in Kansas erlebt hatte. ihn は先行する Lernort der Demokratie を指しています。「たとえば K.D.ブラッハーがカンザスの「戦争捕虜大学」で体験したような(民主主義の学びの場)」がこの長い文の骨格です。


【翻訳】

車掌とは違って、ボン大学の法学者は、当時最も進歩的な勢力に属していたとは言えませんでしたが、間もなくドイツの民主主義のために尽力することとなりました。地理的な近さからだけでも、ボン大学の法学部は他大学にはまねできない政府と行政への太いパイプを持ち、おそらく、新共和国のための公務員候補の養成にもずば抜けて大きな影響を与えたことでしょう。加えて、その他の学科からも新たな動きがありました。例えば政治学科です。ボン大学を「民主主義の学び場」にしようとする試みでした。1959年に創設された「政治と現代史学」講座の最初の担当教授となったカール・ディートリヒ・ブラッハーがカンザスの「戦争捕虜大学」での体験に着想を得たものでした。ブラッハーは、頑固一徹の啓蒙欲求をもって、ドイツの最初の民主主義の失敗を研究した若い学者の第一世代の1人でした。彼の1955年に刊行された研究「ワイマール共和国の解体」は基本文献となりました。






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