【学問の自由】シュタインマイヤー独大統領ボン大学創立200周年記念式典式辞を原文で読もう(6)

最終更新: 4日前


第5回に引き続き、ボン大学の歴史の部分です。ボン大学の学生と首都における大規模デモの関係について語っています。

【原文】

Staatsfern war die Bonner Universität damals also nicht. Und für Studentenschaft und Nachwuchsdemokraten ergab sich daraus eine äußerst praktische Synergie, sozusagen entlang der Adenauerallee: Die Demokratie an der Universität verband sich fest mit der Demokratie in der provisorischen Hauptstadt. Weder die 1968er- noch die Friedensbewegung haben das kurfürstliche Schloss ausgelassen, auch wenn die Proteste an den Universitäten in Westberlin oder Frankfurt vielleicht eine Nummer größer ausfielen. Es waren Studentinnen und Studenten, die dem frischen Wind immer wieder die Fenster geöffnet haben – etwa bei der neuen Universitätsverfassung von 1968, damals sehr umstritten. Aber vor allem musste man sich als Bonner Student nur den großen Hauptstadtdemonstrationen auf der Hofgartenwiese anschließen – in den 1980er-Jahren waren das die größten Kundgebungen, die die Bundesrepublik je gesehen hat. Auch das war Demokratie hautnah, zum Mitmachen und direkt vor der Haustür.



【解説】

Adenauerallee 国道 B9。ボン大学本校舎を貫通し、3㎞ほど南の官庁街へ至ります。校舎を貫通するところは Koblenzer Tor コブレンツ門と呼ばれます。

1968er-Bewegung 1960年代に盛んだった「新左翼」と総称される様々な左派系グループによる民権・反戦・学生運動。アメリカの黒人による市民権運動に始まり、ベトナム戦争反対運動として受け継がれ、世界各国に広がりました。日本の全学連運動などがこれに当たります。


die Friedensbewegung 1979~1983年頃、特に「NATO二重決定」と呼ばれる、ワルシャワ条約機構軍縮を呼びかける一方、互いの軍縮圧力を高めるため西ヨーロッパ核兵器を搭載した中距離弾道ミサイル準中距離弾道ミサイルを多数配備するとした1979年12月12日のNATOの決定に反対する平和運動が盛んでした。1981年10月10日にはボン大学前の芝生で30万人以上が参加する大規模な反核デモがありました。


das kurfürstliche Schloss 選帝侯居城=ボン大学本校舎。ボン大学の本校舎は、元はクレーメンス・アウグストゥス選帝侯の居城。


Universitätsverfassung 大学の学則。1968年、学生運動の要求を受けて、大学の「民主化」を図るため、学生の共同決定権が認められました。


die Hofgartenwiese ボン大学本校舎に接する庭園の大部分を占める芝生。ボンが西ドイツの首都だった頃はよくデモ・政治集会の会場となりました。

direkt vor der Haustür 大学の目と鼻の先で。本校舎の目の前にある芝生がデモ会場であったことから。



【翻訳】

つまり、当時のボン大学は国家形成に影響を及ぼす存在だったと言えます。そのことから、学生や若い民主主義者たちにとって、アデナウアーアレー(ボン大学本校舎と議事堂を結ぶ幹線道路)に沿った大変実践的なシナジー効果が生まれたのです。大学における民主主義は、仮の首都の民主主義と固く結びついていました。1968年の学生運動や1979~1983年の平和運動も、選帝侯の居城を本校舎とする本学で無視されるようなことはありませんでした。もちろん、西ベルリンやフランクフルトの大学での抵抗運動の方が規模はもっと大きかったのですが。何度も新しい風を入れるように窓を開け放ったのは学生たちでした。1968年に、当時賛否両論あった新しい大学則の導入の際の運動などがその一例です。ボン大学の学生であれば、本校舎前の奥庭の芝生で行われた大きな首都のデモに参加するだけでよかったのです。1980年代では、それは1980年代では連邦共和国始まって以来の最大規模のデモとなりました。これも肌で感じられ、直接玄関前で参加できる民主主義でした。






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